2011年1月7日にNHKが放送した「ヒューマンドキュメンタリー:裸の55歳 郷ひろみTHE エンターテイナー」のなかで幻冬舎社長で編集者の見城徹氏が指摘した、郷ひろみの「スターとしての宿命」があまりにスリリングで興味深かったので長くなるけど記しておく。
会話は、いつもトレーニングを怠らず自分を鍛え続ける郷を見た見城氏の「毎日辛くない?」という問いからはじまる。
「自分がそのハードルをのりこえるたびに充足感を得るわけでしょ?それ辛くない?それ誰のためにやってるの?自分のため?」
郷は答える。「でもなんでもそうだけど、何かを得るためには自分自身が何かを与えるでしょ?」
「おれは、何かを得るために何かを失うんだと思うよ。エンターテイメントっていうのは、常に民衆の、大衆のいけにえなわけだよ。ね。つねにエンターテイメントっていうのはこの世にあらざるものを作り出さなきゃいけないわけよ。テネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』っていう芝居があるんだけど、僕は君を見ていると「絶望という名の電車」だと思うわけよ。郷ひろみを見ていると。ものすごい明るい輝かしい世界を作り、民衆を熱狂させ、アイドルのど真ん中を行きながら、こうやってアーティストとして、いま輝いている。そんな人いませんよ。そんなことをやるやつが、幸福なわけない。きみはつねに不幸だし、結婚だって結局は2回失敗しているし、ほとんど芸能界に友達を作らないよね。それを僕は、基本的に、大スターはみんな不幸だと思う。そして、不幸の裏打ちがない輝きなんて大した輝きじゃないんだよ。そういうこと考えたことないでしょう」
「自分でそこまで掘り下げたことない」
「君の中で、いつも満たされないものがあり、何かに追われるように走り続け、何かを自分の中で充足したと思った瞬間に、また結局は新しい何かを見つけないと生きていけないでしょう」
「充足ということ自体はさ、安住ということもなければ、自分自身に満足することもないわけだから。僕は。」
「やっぱり孤独なのよ。その孤独は、絶望という名の電車と思うのよ。その絶望という名の電車を降りられないで走っているのが郷ひろみで、それを降りた瞬間に君は原武裕美になる。そのときに世間的な幸せをつかむのかもしれないけど、それじゃ編集者の俺はちっとも面白くないわけだよ。」
「僕はケンケンのために生きるの?(笑)」
「そういう意味じゃないけどさ、そんな匂いを感じさせるスターはいないんだよ。いま。民衆のいけにえなんだから。でも自覚的に民衆のいけにえを生きたらば、それはやっぱりだめなんだよ。君はあっけらかんと、いけにえとして生きているというところがかっこいいんだよ。」
郷ひろみは腑に落ちたような、落ちていないような顔で、見城氏の話を聞いている。まるで自分のことではないかのように。